
旅行年月:2019年9月


本日は、行ってみたい所の候補の一つであった滋賀県石山寺へ訪れました。
石山寺の本堂には、紫式部が 参 籠 していた際に、「源氏物語」を起筆した場所とされる部屋(源氏の間と呼ばれる)があります。
こういったゆかりから、石山寺には各時代に制作された源氏絵をはじめ、源氏物語(紫式部)に関する数多くの宝物が伝来されています。
私が訪れた日には、石山寺境内にある豊浄殿にて、ちょうど秋季の紫式部展が開催されていましたので(随時開催されているようです)、観覧させてもらいました。
展示品には、「源氏物語絵巻 末摘華(江戸時代)」、「大日如来坐像(平安時代)」、「紫式部聖像(室町時代)」、「石山寺縁起絵巻 巻第三(鎌倉時代)」などがあり、かなり古い時代のものを見ることができます。
入場料は別途必要ですが、一見の価値ありです!。
また、境内図を見てもわかるように石山寺は見所が多く、ハイキング感覚で周遊するのも楽しいです。
特に石山寺という名の由来にもなった、境内に見られる奇岩は、天然記念物の硅灰石(けいかいせき)からなっています。
さすがにその石山寺だけあって、この場所以外にも多くの岩を目にしますが、硅灰石は、拝観受付より奥へ進むと、すぐ右側に上に上がる石段がありますので、上がりきった正面の巨岩群内にあります。(大半は大理石のようです)
これより下の画像は私が歩いた経路に沿って掲載しています。石山寺公式HPの境内マップも併せて見ていただくとわかりやすいかもしれません。
石山寺駅から石山寺東大門までは徒歩10分ほどです。
●石山寺駅から石山寺東大門までのルート(googleMap) >
石山寺駅から石山寺への道
石山寺の手前付近
朗澄大徳ゆかりの庭園(石山寺東大門の隣にあります)
朗澄は石山寺の学僧として多くの聖教を書写・収集し、死後も鬼となってそれらを守護するという誓いを立てました。
朗澄の鬼の姿を刻んだ石碑
東大門前の様子
東大門
東大門は国の重要文化財です。源頼朝に寄進された山門ですが、焼失を繰り返し、豊臣の時代に秀吉の側室・淀殿によって大規模な改修が行われたようです。
仁王像 阿形(鎌倉時代の仏師運慶・湛慶作と伝わる)
仁王像 阿形
仁王像 吽形(鎌倉時代の仏師運慶・湛慶作と伝わる)
仁王像 吽形
参道
大黒天
入山料600円を支払って中へ
右手前がくぐり岩、左が比良明神影向石
くぐり岩
穴をくぐると願いごとがかなうと言われる石山寺のパワースポットの一つ、くぐり岩。
比良明神影向石(ひらみょうじんようごうせき)。東大寺の僧良弁僧正と近江の地主の比良明神が出会った場所(お告げの地)とされ、比良明神が座っていた石が比良明神影向石です。
この石段を上ると正面に硅灰石(けいかいせき)のある巨岩群を見ることができます。
石段を上る途中の左手に明和年間(1764〜1772)に再興された龍蔵権現社があります。
正面に硅灰石(けいかいせき)、さらに奥に見える建物は多宝塔です。
石山寺を象徴するパワースポットの硅灰石。
観音堂(右)と毘沙門堂(左)。現存の毘沙門堂は江戸時代中期1773年に再建されたもの。
御影堂(重要文化財)。現在は弘法大師と石山寺第三代座主淳祐内供の像が安置されています。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)。奥の建物は毘沙門堂。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)の周囲の石畳に一から八十八の数字が刻まれています。
宝篋印塔から見た硅灰石
手前が宝篋印塔。奥に進むと本堂です。
本堂へ上がります。
本堂の東側(画像の奥方向が南)。
本堂の南側。礼堂前面の舞台です。
南側の礼堂の下を見ると、京都の清水寺のように懸造(かけづくり)になっています。
礼堂と正堂の間にある相の間に、火灯窓(かとうまど)がついた部屋があるのですが、ここで紫式部が源氏物語を起筆した場所と伝えられており、「源氏の間」と呼ばれています。
画像の奥側から礼堂、相の間、手前が正堂となります。
本堂から三十八所権現社へ。(1602年の建築で天智天皇までの歴代天皇が祀られています)
三十八所権現社から経蔵(きょうぞう)へ。
経蔵(県下で最古の校倉造の建造物)
経蔵の床下には「安産の腰掛石」。この岩に座ると安産するといわれ、安産祈願のパワースポットとなっています。
安産の腰掛石
経蔵の通り沿いに「紫式部供養塔(左側)」鎌倉時代中期頃のもの?、「芭蕉の句碑(右側)」1849年建立。
さらにこの通り沿いの正面に鐘楼があります。
鐘楼(重要文化財)。源頼朝が寄進したと伝えられているそうです。
荘厳な造りです。
鐘楼から下に降りる階段。
鐘楼前の通りから見た景色。
鐘楼前の通りにある階段から見上げた多宝塔。
多宝塔(国宝)。鎌倉時代(1194年)に源頼朝の寄進によって建立したとされています。
下層は方形(四柱造)で上層は円形、屋根は宝形造(ほうぎょうづくり)の檜皮葺き(ひわだぶき)の造り。日本最古にして最も美しい多宝塔として知られています。中には大日如来坐像が安置されています。
めかくし石。多宝塔と同じ敷地内、西側にあります。目隠しをして塔を抱くことができれば願い事が叶うらしいです。
多宝塔から芭蕉庵へ。
芭蕉庵。度々石山寺に訪れた松尾芭蕉が仮住まいをしていたとされています。
芭蕉庵に隣接する月見亭(左側)。
月見亭。保元年間(1156~1158)に後白河天皇の行幸のために建立されたもの。直接上がることができないのが残念です。
月見亭から下に降りる通り。
下から見た月見亭。
下から見た芭蕉庵。
裏側から見た鐘楼。
普賢院跡
普賢院跡
月見亭側に引き返し、心経堂へ。
心経堂
平成2年(1990)に建立されたもので、心経写経や如意輪観世音菩薩像が安置されているそうです。
次に光堂に向かいます。
段からなる牡丹園とその上に立つ光堂。
牡丹園と光堂。
光堂。平成21年(2009)に東レ株式会社より寄進されたもので鎌倉時代にも存在していたそうです。
本堂と同じ懸造になっています。
牡丹園
紫式部像。牡丹園から下に少し降りたところにあります。
次に向かうは八大龍王社。紫式部像よりさらに下へ降りていきます。
八大龍王社。(参道の入り口からまっすぐ進んでも辿り着くとこができます。)
八大龍王社は、龍穴といわれる池の中島に小さな祠で建てられています。
右へ行けば西国巡礼(西国三十三所)ができる道で、左へ行けば無憂園です。まずは無憂園に行ってみます。
無憂園にある小さな滝。
無憂園
天智天皇の石切場。無憂園より先に進むと現れます。
本堂の真下に位置し、天智天皇の御世(660年代)に石切り場であったといわれ、採石跡が残されています。
石切場から無憂園方面に引き返し、西国巡礼をしたいと思います。
1番から33番まで観音石像が設置されており、この道は最終的に八大龍王社前に出ます。この西国巡礼の道は早歩きで7、8分ほどかかりました。
豊浄殿。西国巡礼後に豊浄殿で開催されていた紫式部展を観覧しました。(入場料300円)
奥に見える小屋は閼伽井屋(あかいや)です。本尊にお供えする水はここから汲まれるそうです。ちょうど本堂の南の下に位置しています。
密蔵院。島崎藤村ゆかりの建物とされています。
大黒天。本堂経由で御影堂前の階段を下りると大黒天に行けます。こちらから境内の外に出ることができます。
朝一にはまだ閉まっていた、東大門前のお店が開店していました。これにて石山寺巡りは終了です。時間がある方は、4時間で十分すぎるぐらい境内内の全てをゆっくり見て廻ることができます。時間が無い方でも1、2時間もあれば一回りはできるかと思います。
私はまだ時間に余裕があったため、石山寺駅からの電車に乗らずに、瀬田川沿いを歩いて石山駅まで行きたいと思います。


地図で確認してもそれほどの距離でもなかったので、石山寺から徒歩で石山駅まで歩いて帰ることにしました。(徒歩35分ほど)
瀬田川沿いの遊歩道もきれいに整備されており、景色を楽しみながら進んでいけます。

朝一に訪れたこともあり、観光客としては一番乗りだったと思います。
その後ちらほら増えてきましたが、まったく混みあうほどではありませんでした。
石山寺は紅葉や桜の名所でもありますので、各シーズンでは間違いなく混むかと思います。特に紅葉のライトアップや名月に合わせた秋月祭の開催時はかなり賑わうのではないでしょうか。興味がある方はぜひ訪れてみてください。
混雑が苦手な方は、そういったシーズンを外せば、今回のように落ち着いて観光できるかと思います。




